ベトナムもムラ社会 ――ご近所付き合いの難しさ――

社会

一般的に、日本はムラ社会だと言われる。
どの組織やコミュニティにおいても、そこに属している限り、多かれ少なかれ自身の価値観や意見を押し殺し、周囲の人に合わせることが求められる。さもなくば「村八分」にされ、何らかの不利益を被ったり、居心地が悪くなったりするからである。

では、ベトナム社会はどうだろう?
言いたいことをハッキリ言って、あっさりとした付き合いをしているというイメージだろうか?
ところがどっこい、ベトナム人とある程度付き合ってみると、彼らは日本人と同じか、もしくはそれ以上に「本音と建て前」を使い分け、「ムラ社会」の中で生きている人たちだということが分かるだろう。
特に「ご近所付き合い」については、テキトーにやっているように見えて、その実、かなり神経を尖らせているのではないかと個人的には思う。

2024年2月17日付VnExpressの読者投稿欄に「ずる賢い隣人とも付き合うべきでしょうか?」というタイトルの相談が寄せられた。
近所付き合いを重んじる相談者を悩ませている「隣人問題」について見てみよう。


記事の概要

相談者:男性(国家公務員)
相談内容:「ずる賢い隣人とも付き合うべきでしょうか?」

相談者は近所付き合いの多い地域に20年近く住んでいる。
相談者自身も隣近所の人との調和を重んじ、相手の職業や経済状況に関係なく、誰に対しても礼儀正しく接することをモットーとしている。

相談者
相談者

私は国家公務員ということもあり、コミュニティの人たちとの付き合いをとても大事にしています。
だってほら、「遠くの親戚より近くの他人」って言うでしょ?

うちの子と同じぐらいの齢の子どもたちも沢山いますしね。



そんなわけで近隣住民との仲は良好である――ある一家を除いては。
その家の住民とも以前は上手くいっており、相談者の家の電気や水道管が壊れたときには修理を手伝ってもらったこともある。

相談者<br>
相談者

でもね、段々分かってきたんです。
その家の奥さんはだらしがないし、旦那は家父長的かつ利己的で、おまけにずる賢い男だってことがね。

相談者から見て、何が問題かというと――
近隣住民どうしで定期的に食事会や旅行をしており、どの家も幹事役が回ってきたときには、事前に徴収した会費に見合う内容をきちんと準備し、参加者をしっかりともてなしている。
しかし、件の家が幹事役のときは、安上がりな店に連れて行くわ、幹事としての態度もおざなりだわ、子どもに怒鳴り散らすわ…で、楽しいはずの催しが、もはや苦行になるのである。



しかも最近は、相談者夫婦に対しても喧嘩腰なのだという。

相談者
相談者

彼らは以前、近隣住民が止めに入るぐらいの夫婦喧嘩をして、奥さんと子どもが実家に帰ったことがあったのですが、旦那のほうは何やら私達夫婦の差し金だと思ったみたいです。
普通に話が通じる相手ではありませんね…。

こんなことがたびたびあって、参っています。今後はこの一家との付き合いは控えたいと思うのですが、皆さんはどう思いますか?



読者コメント欄

1
トピ主が何歳か知らんが(俺は40歳)、俺は友達なんて要らないし、職場以外では誰とも付き合いたくないね。勿論、近隣との付き合いもしたくない。面倒くさいじゃん。嫁と子どもだけいれば十分。

8
>>1 親友もいない、近所づきあいもないなんてね…。

>>8 ご心配なく。俺は家族と仲良いし、毎日楽しくやってるんで。

10
>>1 「ロビンソン・クルーソー」じゃあるまいに、友達も親しいご近所さんもいないなんて、そんな生き方、大丈夫なわけない。

>>10 全然問題無し。会社ではマネージャーとして皆と上手くやってるし。

20
>>1 あなたが毎日楽しいなら大いに結構ですが、それは今までたまたまご近所さんの助けを借りる必要が無かったからです。考えてみてください、もし家が火事になったときはどうするのですか?助けてくれるのは一番近くにいる人ですよ。

>>20 俺にとっては取るに足りない問題だね。俺にはもっと大事な人が沢山いるから心配無用。

>>1 それで良いと思いますよ。都会では皆、他人の互いのことを気にせずに暮らしていますし、あまり隣近所との付き合いが濃くなると煩わしいことも多いです。
「親友」という言葉の定義も難しいですね。遊ぶ友達はいても、本当に困ったときに駆けつけてくれる友達というのは滅多にいないものです。

私も国家公務員ですが、隣近所とはそれほど親しく付き合っていません。会った時にきちんと挨拶しておくだけで十分だと思っています。
あまり隣近所の家のことに干渉するのはどうかと思います。食事会や旅行が楽しくないのなら、行かなければいいんです。皆がそれぞれ平和に暮らすことが大事ではないでしょうか?

地域の人たちと飲み食いしたり遊びに行ったりして散財することに、それほど価値があるんですか?本当に立派な行いとは、困っている人たちを身銭を切って助ける行いのことを言うのですよ。
あなたは国家公務員とのことですが、しがない労働者は生活するだけでも大変なんです。

「付き合う人は選べ」と言いますよね。同じコミュニティの人間であっても、付き合う人は選べるでしょう?
皆それぞれ価値観は違いますし、そもそも収入格差のある者どうしが付き合うのは難しいですよ。

ご近所さんは友達ではありません。なのに、何故そこまでべったり付き合おうとするのですか?「遠くの親戚より近くの他人」というのは、隣近所とほどよく距離を保ち、衝突を避けましょうという意味ですよ。

兄弟、友達、隣近所、それぞれに適度な距離感というものがあります。べったり付き合ったり互いに悪口を言い合ったりする関係は疲れます。どの家庭にも、他人には立ち入って欲しくない領域というものがあります。



出典

VnExpress(2024年2月17日付)―― Có nên tiếp tục thân thiết với hàng xóm khôn lỏi



ベトナム語表現

Bán anh em xa mua láng giềng gần
[ 意味 ]遠くの親戚より近くの他人(諺)

nịnh bợ
[ 意味 ]媚びへつらう
[ 品詞 ]動詞



管理人のコメント

相談内容を読んで最初に思ったことは、トピ主のような人がご近所さんじゃなくて良かったということです。国家公務員か何か知りませんけど、全体的になんか偉そうなんですもん(笑)
ご近所付き合いに関しても、「こうあるべき」「これが正しいんだ」という自分の価値観を振りかざしているような気がします。

実際のところ、「遠くの親戚より近くの他人」って思うことは、たま~にあります。でも、近くにいるからこそ、適度な距離感って必要じゃないですか。たまたま隣近所に住んでいるだけであって、価値観もライフスタイルもそれぞれ違うのに、「近所づきあいとはこうあるべき」なんて考えを押し付けられたら、たまったもんじゃないですよ。

職場でもそうです。
ランチ、飲み会、慰安旅行(今どきは減っているかもしれないですが)など、二言目には「社内コミュニケーションも大事だよ」と言って、強制的に出席させようとする人たちっているじゃないですか?それぞれに事情があるのに、断れば「これも仕事の一部だよ」「協調性がない」という人たち。
はー?社内コミュニケーションって、お酒やコーヒー片手にくっだらないお喋りすることなんですか。だったら尚更、気の合う人たちだけで行けばいいじゃんって思います。

読者コメント欄でも何人かが「付き合う人は選べ」と書いていましたが、本当にその通りだと思います。人と関わるのが好きな人はそうすれば良いし、そうでない人は無理に苦手な場所に顔を出す必要はないと思います。
私はこれからも人付き合いに関しては「浅く、狭く」やっていきたいです。

タイトルとURLをコピーしました